法助動詞 willとwould
willとwould の使い分けについて、端的に行ってしまえば以下である。
(2) willの過去形
- will は今後のこと、確実な意志、話し手の確信的な思い
- be doing / will be doing / will do / be going to do は気持ちの確実性の違い
- 強い意志の表れだからこそ "Will you 〜?" はちょっとした命令形になる
- would は話し手の想像や推定
- Would you 〜? は丁寧なお願いやお誘い
- would が will の過去形になるとき
- would は過去の反復も表現する
- I would have done, but 〜 〜するつもりだったけどできなかったんだ
- I would have done if I had done もし〜したら・・・したのに
- 当然だが英語に未来形という時制は存在する
will は今後のこと、確実な意志、話し手の確信的な思い
未来形の代表格である will は日常的に一番使う法助動詞ではないだろうか。
日本語を母国語とする人には「未来形?えー未来?」と英語を勉強したてのうちは混乱するが、英語と日本語は別の言語であることを受け入れられれば、たいして理解が難しいものでもない。
和訳で理解しようとするから余計に混乱するのだから、今まで散々口酸っぱく述べてきたように、英語を和訳で理解しようとしてはいけない。
未来形は日本語にはないというわけではなく、日本語にすると現在形と同じ和訳になってしまうから、日本人には「言語の未来形」という概念が薄いというだけのことである。
現在形: I eat bananas sometimes. 時々バナナを食べます。
未来形: I will eat a banana tomorrow. 明日バナナを食べます。
will の用法に「習慣」もあるが、これだって根底には「いつもしているから、また確実にするだろう」という「話し手の確信的な思い」が含まれている。
否定は won't = will not で、「(主語が)絶対にしないだろう」と話し手が確信的に思っていることになる。
be doing / will be doing / will do / be going to do
は気持ちの確実性の違い
未来を表すフレーズとしてbe doing や be going to do などがあるが、話し手の確実的な気持ちの度合いが違うだけで今後のことを話していることには変わりない。
以前のエッセイ「will と be going to について」にも記載している。
be doing (現在進行形)
(本人が言ったので100%に近く確実だと話し手は思っている)
will be doing (未来進行形)
(ジョンが仕事で来月に日本に来るというスケジュールを話し手は知っている)
will do (単純未来)
(この話をしているのは11月であり、ジョンが毎年クリスマスに日本に来るので、また来るだろうと話し手は確信的に思っている。)
be going to do (予定未来<--- 私の勝手な造語)
(ジョンは日本に来る予定だが、状況からあくまでも予定だと話し手は思っている)
強い意志の表れだからこそ "Will you 〜?" はちょっとした命令形になる
will は強い意志なだけに、"Will you〜?"と2人称の疑問文にすると軽い命令形の表現になる。
pleaseが入っているから少しは柔らかくなるが、直訳すると「きみは静かになる意志が確実にあるよね?」なのだから、これは依頼というより半ば強制に近い。だから軽い命令形になるのだ。
これはプロポーズの言葉としてかなり一般的だが、ではなぜこんな命令形に近い Will you 〜? が使われ、丁寧な依頼表現で使われる Would you 〜? や Could you 〜? があまり使われないのだろうか。それは、
まず「今後のことを尋ねている」という点がひとつ
そして「相手の意志を尋ねている」という点がひとつ
そして何よりも
「Would you marry me? もしよければ私と結婚してくださいますか?」でもなければ
「Could you marry me? 私と結婚して頂ける可能性はあるでしょうか?」でもなく
「Will you marry me? 私と絶対に結婚してください!」という強い意志の表れだからである。
would は話し手の想像や推定
would は話し手の推測や仮説を表現する。
would do だと現在〜今後を、would have done は過去(後述)を表わす。
これらが will や will not だと、「今後のどこかで確実にそうしよう/絶対にそうしない」
と述べることになるが、would だと仮説を伝えているに過ぎない。
本来ならば「if I were you/him/her/someone (もし私があなた/彼/彼女/誰かなら)」が付くが、それが省略されているというケースが多い。
この場合に will を使うのは不自然である。なぜならば、パーティーが確実に great になるかどうかはこの時点では推測でしかないからだ。
このケースで will を使うのは、確実に great になるようなこと(理由など)を述べる場合である。
例) That will be great because I can get away from my parents.
「いいねえ。親から離れられるからね。」
この場合に will を使っても問題はないが、やはり would を使う方が自然な言い方である。
それは「That would be nice if you could(もしそうしてくれるなら、いいね)」と本来ならば仮定法過去(仮説に基づく可能性)のif節が付随しているからだ。
それにより、ちょっぴり控えめにお願いしている形になる。
この場合は明らかに will は使えない。
断っているのだから wonderful になるのは仮説でしかないからだ。
これも本来ならば「That would be wonderful if I could (もし私が行けるなら素晴らしいことだ)」と仮定法過去(仮説に基づく可能性)のif節が付随している。
それにより、断る前にワンクッション置いている形になる。
Would you 〜? は丁寧なお願いやお誘い
"Would you 〜?"と2人称の疑問文になると丁寧な依頼を表現する。
would は話し手の推測や仮説なので、直訳すると「あなたはそうするでしょうかね〜?」
であり、やんわりと依頼しているのだ。
それとなーくお勧めしているのだ。
直訳すると「今週末あなたは映画を見るのが好きでしょうかね〜?」で、
それとなーくお誘いしているのだ。
※直訳部分は解説の便宜上そうしているだけで、実際はとても丁寧な表現である。
would が will の過去形になるとき
過去に起きた主語の固執や拒絶
過去に起こった固執や拒否など、主語の強い意志によるものだと話し手が思っていること。
ただ1つ注意するのは「誰かの意に反して」的なニュアンスを含有する。
would なしの単なる過去形(entered the river)だと、川へ入った事実だけを表現するが、
would enter the river だと「止めた人の意に反して(主語には)絶対に川へ入るという固い意志もあった」と話し手が思っていることを意味する。
didn't だと手伝わなかった事実だけを表現するが、wouldn't だと「頼んだ人の意に反して、彼には手伝う意志すらもなかった」と話し手が思っていることを意味する。
didn't だとカギが開かなかった事実だけを表現するが、wouldn't だと「カギを開けようとした人の意に反して、カギはどうしても言う事を聞かなかった」といった表現になる。
主語が物の場合は擬人化しているので、やはり話し手がそう思っていることを意味する。
時制を一致させるため
主節と従属節の時制を合わせるために will が would になるだけのことで、意味は will と同じである。
would は過去の反復も表現する
would は昔に繰り返し行っていたことも表現する。
will の習慣を表す「いつもそうしているから、またするだろう」の過去形バージョンと言える。
used to との違い
「昔よくしていたものだ」という表現に「used to」があるが
would は「昔繰り返し行っていた事実を述べているだけ」であるのに対し
used to は「昔はよくそうしていたが、今はしていない」という意味を含有している。
失恋ソングには used to がよく使われているが、これがまた人の涙を誘うのだ。
しかしながら、必ずしも「今はしていない」という時にばかり使うわけでもない。
今はどうかより「かつてそうだった」という点だけに焦点を当てるときにも使うことがある。
以下はある日の我が家の会話だが、このプリンターはもともとパパウシのもので一時期私が譲り受けた。
しかし私のPCと相性が合わないようで、またパパウシに戻したものである。
I would have done, but 〜 〜するつもりだったけどできなかったんだ
過去に「するつもり、もしくはしたかった」が、やむを得ず出来なかったことを表現する。
この形の教示は日本ではあまり見かけないが実は一般的な使い方である。
* パパウシ家ではよく聞くセリフ・・・
I would have done if I had done もし〜したら・・・したのに
「もしそうだったら、こうしていただろう/こうしていたのに」という、過去のことに対する
話し手の推測や仮説を表現する。
だから、実際には起こっていないことである。
当然だが英語に未来形という時制は存在する
最近はインターネットで誰も彼もが情報を流すことができるので、英語の教示でもそれはそれは相当な情報が氾濫している。
勿論、中には感心するくらい素晴らしい教示もあるが、しかしながら残念な教示があるのも事実である。
動詞活用を引き出して未来形はないなどと教示しているとはいかがなるものかと思う。
当然だが英語には未来形という時制はちゃんと存在する。
will は今後のことを表現する。今後のこととはつまり未来のことなのだ。
will の基本の定義は「意志」である。「意志」とは「強い決心のこと」である。
それが未来と何の関係があるか?と思うかもしれない。
だが「強い決心」はいつのことについて行うか?
過去のことでもなく現在のことでもなく、それは「今後のことについて」であろう。
だから will は未来形という時制をリードしているのだと思う。
言葉は生き物である。
言霊と言う言葉があるように、英語であろうと日本語であろうと言葉には魂が宿る。
「will」は「意志」を表わすが故に魂と最も密接に関わる単語ではなかろうか。
ちなみに遺言状も「a will」という。
大袈裟だが、コミュニケーションとは魂と魂の対話でもある。
英語でコミュニケーションを取る機会が増えれば、will について本当に理解するのは
さほど難しいことでもない。
will は人々の意志を受け継ぎ未来へとつなぐ荘厳な単語なのである。