英会話教室はさまざま

2019年7月

日本には多くの英会話教室がある。
当方のように英語ネイティブの講師で英語のみのレッスンをしている教室、日本語を交えて意味も丁寧に教えている教室、イベントを催し国際交流が持てる教室、さらにはオンラインレッスンなど実にさまざまである。
どの教室が良いかという評価は、経済的なことを含めて生徒にとってどの教室が合っているかによるだろう。
人それぞれに合った学び方があるし目的も違うし講師とのフィーリングも重要だろう。
そのために「売り」が違う色々な教室があるのは当然だ。
各英会話教室が「売り」をアピールするのは、一応、資本主義経済の形を取っている日本国内で経営をするのであればごく一般的な形である。
(余談だが、もっとも、日本経済は社会主義に近いという人もいるが…)

私は最近、ネイティブ英語のみの英会話教室を酷評しているある英会話教室のブログを見た。
オーナーは英会話教室のコンサルティングもしているようだ。
「日本語で丁寧に英語の意味も教えることこそが英会話上達につながる」が売りの英会話教室兼コンサルティング会社。 それをアピールすることは大いに結構だと思う。
その中で「ネイティブ英語のみでのレッスンのデメリットを挙げる」こともありかもしれない。
しかし、そのブログではそれだけに留まらず、ネイティブ英語だけでレッスンを提供する教室を「バカ、アホ、ゴミのような教室、ダメな教室、何も考えていない教室、見栄えだけ」等、実に汚い言葉で罵っていた。

世界中に配信され多数の人が見る可能性のあるインターネット上で、自分の英会話教室やコンサルティングをアピールするために、自分の教授法とは違う教室を徹底的に否定している。
まともな感覚であれば、そんなところにコンサルティングは頼まないだろう。
「言葉を教える教室」のコンサルティングを、ブログ上で暴言を吐くような会社に誰が依頼するだろうか。

このブログの趣旨である「説明は母国語の方がより早くより確実に定着できる」のも確かだが、それは生徒にもよるし目的にもよるだろう。
英語を全く知らない子供に教える場合は、母国語での丁寧な指導の方が効果的かもしれないが、母国語すらおぼつかない子供には、絵や歌やゲームで教えることが早道なのだ。
そのブログで書かれている「外国人は絵や歌で話しかけない」というのはただの屁理屈である。
小さい子供に集中させつつ覚えさせるには、興味を持たせるために絵や歌やゲームの取り入れは必要である。
第一、歌を侮ってはいけない。歌詞はメロディに乗せるために特有な表現にせざるを得なかったのだろうと思えるものもあるが、歌詞からも使える英語表現をたくさん学ぶことができる。
歌であろうとゲームであろうと絵であろうと「英語」である限り英会話はいくらでも学ぶことができるのだ。

大人に関しても同じことが言える。
翻訳者や通訳者を目指している場合は、適切且つ素早い訳の仕方を日本語で指導してくれるところが良いだろうが、「英会話」が目的であれば、ネイティブ英語のみでのレッスンは不可欠だ。
現代日本の大人たちは「英語を日本語で学ぶこと」は学生時代に散々している。
「今更、英語をわざわざ日本語で学ばせるより実際の英会話に慣れさせることが必要だ」というのが、ネイティブ英語のみでのレッスンを提供している英会話教室の趣旨ではないだろうか。
英語に限らず他国語で会話をするには「本物の言語に慣れる」ことは必須課題である。
今や母国語で意味を把握するくらいのことは、辞書を引いたりインターネットで調べたりすれば簡単に探すことができる。

母国語だけで英語を教授するのは「英語で話をすることよりも意味を確実に知っておきたい」という需要に対しては相応しい供給だろう。
しかし「英語で会話をしたい」という需要には、それだけではやや不足気味で、やはり実践であるネイティブ英語話者との会話は必要不可欠である。
例えてみれば、野球について詳しくなれば、極端な話、野球解説者にはなれるかもしれないが、野球の実践経験がなければ野球プレーヤーにはなれない。

英会話教室も十人十色ならず十教室十色。
「1回約60分の貴重なレッスン時間」に何をすべきかは、各教室の趣旨によって様々であり、「日本語で意味を把握させる」に重きを置く教室もあれば「より多くネイティブ英語話者に触れさせる時間」に重きを置く教室があっても良いはずだ。
すべての英会話教室が同じでなければならない理由は何ひとつない。
各英会話教室により趣旨が違っていて当然である。
それは、英会話教室を選ぶ生徒側にも学び方・学ぶ目的は十人十色あるからだ。

inserted by FC2 system