法助動詞 can と could
(2) 話し手の主観や仮説による能力や可能性または許可
中学1年生で初めて習う助動詞 can 。
日本人にとって比較的理解しやすい助動詞だが実は結構奥が深い。
- can は実際の能力や可能性「〜できる」
- can't と shouldn't の「〜するはずがない」は意味違い
- can の使い方からアメリカと日本の文化の違いが垣間見える
- could (1) can の過去形「〜できた」
- could (2) 話し手の主観や仮説としての現在の能力や可能性「〜できるかも」
- I wish I could. が I wish I can. ではない理由
- can の同義語 be able to
- Can I 〜? / Could I 〜? 〜していいですか
- Can/Could I get you 〜? 〜してあげましょうか
- Can you 〜? 〜してもらえますか / 〜できますか
- Could you 〜? (もし可能であれば) 〜していただけますか?/〜できましたか?
- I could have done, but 〜 / I could have done if I had done
することもできた(がしなかった)、もし〜だったら…することができたのに - could have been able to の could は was able to ではない
- couldn't do more/less/比較級 (これ以上できないほど)非常に〜だ
- couldn't have done more/less/比較級 (これ以上できないほど)非常に〜だった
- 疑問詞を伴う can と could の疑問形
can は実際の能力や可能性「〜できる」
can は事実としての能力や実際にあり得る可能性そして許可を意味し
「(実際に)できるよ、可能だよ、あり得るよ、していいよ」という和訳例になる。
否定 cannot = can't は、事実として能力や可能性がないことや許可できないことを表し
「(実際に) できない、可能ではない、あり得ない、してはいけないよ」という和訳例になる。
(練習を続けるという条件なら実際に良いプレーヤーになる可能性があるよ)
※直訳すると「またそれを言っていいよ」となり、強い同意を表す。
can't と shouldn't の「〜するはずがない」は意味違い
cannot / can't は「〜するはずがない」と和訳されることもあるため shouldn't と混乱する人もいるようだ。
cannot/can't は「可能性として実際にはあり得ない」ことからの「するはずがない」で
shouldn't は「当然起こらないであろうという推測」からの「するはずがない」である。
can の使い方からアメリカと日本の文化の違いが垣間見える
日本人は I can/can't speak English.(私は英語を話す能力がある/ない)と言いがちだが、
英語では I speak English. / I don't speak English.(私は日常的に英語を話す/話さない)
のように、能力のあるなしではなく日常的なこととして伝えることが多い。
疑問形も同様で Can you speak English?(英語を話す能力がありますか)ではなく
Do you speak English?(日常的に英語を話しますか)と訊かれる方が多い。
これは、どちらが間違いでどちらが正しいというわけではなく、文化背景の違いによるものだ。
アメリカでは各個人の confidence(自信のあること)が重要視される。
だからなのか、僅かでもその能力があれば「それができる(can)」ことになり、中程度の能力だともう「日常的にしている(do)」ことになってしまう。
そして、全く能力がないことについては、簡単に can't(できない)とは言わずに don't(日常的にしない)と述べる。
can't (できない) と発言する時点で「自信のない人」と捉えられかねないのがアメリカである。
アメリカでは履歴書など自分をアピールするものを作成するときは、少々大袈裟なくらい自分を持ち上げて書くくらいが丁度良い。
一方、日本は協調性を重んじる文化であり日本人は謙遜民族である。
自分のことを話していても常に相手を気遣い歩調を合わせる方が好まれる。だから謙遜が美徳となる。
僅かしかできなければ「できません (can't)」の類になり、そこそこの能力があってもやっとこさ「できます (can)」というレベルになる。
「日常的にしています(do)」なんて言えるのは熟達者レベルに達したときである。
だから、「英語が話せます/話せません (I can/can't speak English.)」と少々遠慮がちに言うのが日本語としては自然なのだ。
それはそれで素晴らしい文化だと私個人は思う。どちらが良くてどちらが悪いとも思わない。「文化の違い」なのだから、それぞれが尊重されるべきだろう。
ただ、英語は英語圏の言葉であり日本語ではないので、英語を話すときはその言語の文化に合わせた方が良いということは言うまでもない。
could (1) can の過去形「〜できた」
could の意味は2通りあり、その1つは can の過去形で、過去に事実として能力や可能性があったことやすることが許されたこと。「(実際に)できたよ、可能だったよ、あり得たよ、してよかったんだ」という和訳例になる。
否定は could not = couldn'tで、過去に能力や可能性がなかったことやすることが許されなかったことを表し「できなかった、可能ではなかった、あり得なかった、してはいけなかった」という和訳例になる。
※can の過去形としての could「〜できた」に if 節(もし〜ならば)が付くことはない。過去形として if 節を付けるなら、後述する I could have done if I had done (もし〜だったら…できたのに) の形となる。
★主節と従属節の時制を合わせるために can が could になったものは can と同じ意味である。
★時制を一致させる場合の could は can と同じ意味。
could (2) 話し手の主観や仮説としての現在の能力や可能性
「〜できるかも」
もう1つの could は「話し手の主観的な考え」や「仮説としての現在の能力、可能性、許可」を表し「できるかも、可能かも、あり得るかも、していいかも」となる。
・現在のことを表現する仮説 ---> 実際には起こっていない例え話
I could do if I did (if 節が過去形)
・今後のことを表現する仮説 ---> 今後に起こり得る可能性がある仮説
I could do if I do (if 節が現在形)
単文だけの表現は主に「話し手の主観による可能性」であることが多いが、「if 節のない仮説」という場合もある。
それは、文脈や会話の流れから if 節をつけなくても仮説であることがわかるからである。
「話し手の主観による可能性」として、否定 couldn't が使われることはあまりない。
なぜならば、殆どの場合 can't / wouldn't / shouldn't / might not を使う方が自然だから。
※実際には車を持っていないので多くの時間を使っている
"No, I am not, but I could (if you want me to)."
「違うよ。だけど(そうしてほしいなら)行くことだってできるよ」(今から起こり得る仮説)
※ これが I can だと「行っていいよ」と実際に行ってもいいと述べている
※ You can stay here. だと「ここに滞在していい」という許可を出しているに過ぎないのに対し
You could stay here. は「ここに滞在することも可能である」と相手の選択肢の1つとして提示している。
(仮説としての可能性)
※実際にはプログラミングのスキルがあるから彼はソフトウェア会社で働いている
(例え話としての可能性)
※ if の部分を even if 〜 (たとえ〜でも) とすることもできるが、 I couldn't do if I tried. は、一種の定型的な表現で「してみたところで、やっぱりできないだろう」という意味。
if には「もし〜なら」以外に「たとえ〜でも」の意味もあり、even if はそれを強調した表現。
しかし、仮定法など内容によっては if を使うのと even if を使うのとでは文全体が全く逆の意味になることもあるため、別物として覚えている人も多いだろう。
通常「もし〜ならば」の和訳が妥当なのは、 if 節を変えると主節の内容も変わる場合である。
I couldn't do if I tried. に関しては、「もし試したらできない」と和訳した場合、じゃあ「試さなかったらできる」のかと言えばそうではない。「試さなかったらもっとできない」はずだ。
いずれにしても「できない」ことには変わりない。だから、ここでの if は even if と同じ
「例え試してみても」と捉えることができる。
I wish I could. が I wish I can. ではない理由
I wish I could. という、お誘いなどを断るときの丁寧な定型表現がある。
これは、go there / come with you / join them / attend など、context (会話の流れや文脈) に合った動詞以降が省略された形で「行けたらいいんだけど(でも行けないんだ)」という意味である。
「行ける」のは仮説でしかないから could が使われ、それにより、仮説を伴うと不可能なことを望む意味になる wish が使われる。
これが can だと、実際に行ける可能性もあるということになるので、実現可能なことを望む hope が使われ I hope I can. となり「行けるといいな(行けたらいくよ)」という意味になる。
ちなみに、wish が不可能を望む単語だから could になるわけではなく、could の仮説を伴うから wish は不可能を望む単語になる。
だから、We wish you a merry Christmas.(楽しいクリスマスを送られるよう祈っています)などのような仮説ではない文章の wish は pray (祈る) と同義で実現可能か不可能かという点は問題ではない。
can の同義語 be able to
be able to は基本的に人の能力にのみ使われる。特に、過去形や未来形などでは紛らわしさをさけるために、また不定詞では文法上の理由から be able to が使われる。
過去形 was/were able to
could では仮説か過去形かが紛らわしいので過去形には was/were able to を使うことがある。
また、単に「できた」ではなく「できてしまったんだよ!」のような強意的に使うこともある。
未来形 will be able to
未来を表す明確な時間要素 (tomorrowなど) がある場合は can が普通だが、そうでない場合は
未来形であることを明確にするために will be able to を使うことがある。
不定詞 to be able to
to can という使い方はないので to be able to とする。
Can I 〜? / Could I 〜? 〜していいですか
許可をもとめる表現。Can I 〜? よりも Could I 〜? が若干丁寧ではあるが、正直な話、どちらを使ったところであまり大差はない。
※ coffee はカップに入ったものだと可算名詞になり得る。
a coffee = a cup of coffee (1杯のコーヒー)
two coffees = two cups of coffee(2杯のコーヒー)
Can/Could I get you 〜? 〜してあげましょうか
自分の好意による提案を意味する。動詞は get の他に give, bring, buy など、目的格代名詞( you, her, him など)を「(誰々)に」の意味で続けることができる動詞である。
Would you like me to get 〜? と同義だが、Can/Could I get you 〜? はとても口語的で丁寧さには欠ける。
Can you 〜? 〜してもらえますか / 〜できますか
依頼のカジュアルな表現である。
依頼だけでなく能力を表す「〜できますか?」という意味になることもある。
Could you 〜?
(もし可能であれば) 〜していただけますか / 〜できましたか
Can you 〜? と同じ依頼の表現だが、Could you 〜? は Can you 〜?よりも丁寧。
「もし可能であれば」という仮説に由来するものだからである。
また、依頼だけでなく過去の能力を表す「〜できましたか?」という意味になることもある。
I could have done, but / I could have done if I had done
することもできた(がしなかった)、もし〜だったら…することができたのに
過去に能力、可能性、許可があったのに実際にはできなかったこと。
but 節 / if 節が省略されているときもあるが、それは context (文脈や会話の流れ)で察することができるからである。
否定は過去に能力、可能性、許可がなかったのに実際にはできたこと。
I could not have done if I had done で、「もし〜だったら…することができなかっただろう」となる。
(でも、彼女は正直な意見を言ってくれなかった)
(実際には彼女は電話をくれなかったので迎えに行くことができなかった)
(実際には練習していなかったので良いプレーヤーになれなかった)
(実際には大きなチャンスを逃したからプロの歌手になれなかった)
"No, I didn't, but I could have (if you had wanted me to)."
「行ってないよ。だけど(そうしてほしかったなら)行くこともできたのに」
(実際には我が子たちとの出会いが会ったから、親の愛情を知ることができた)
(実際には彼は努力をしたから試験に合格できた)
could have been able to の could は was able to ではない
could have been able to なんて表現を見ると「こんな表現あり?」と戸惑うかもしれない。
それは could = was able to と覚えてしまっているからだ。
しかし、could have been able to という表現は、日本語で教示しているのは見かけたことはないが、英語圏では might have been able to と同義としてよく使われる表現である。
can の同義語として be able to がある。
I can cook. = I am able to cook.
私は料理ができる。
そして can の過去形の同義として was able to があり、could を使うこともできる。
I could cook fish. = I was able to cook fish.
私は魚を料理することができた。
それゆえ could と was able to がいつも同義であるかのような錯覚を起こすが、基本的に could は can の過去形ではない。
could の基本的な意味は「仮説による可能性」である。
そして、補足的にcan の過去形として使える場合もあるだけのこと。
could have done が「実際には起きていないがそういう可能性もあった」ことを表現するのだから、この could には was able to の意味は全く含まれていない。
だから could have been able to という表現もあり得るわけだ。
couldn't do more/less/比較級 (これ以上できないほど)非常に〜だ
more や less、形容詞の比較級を伴い「これ以上の可能性はないほど非常にそうである」という
意味を表す。
これが can't でない理由は、can't だと事実を否定していることになり、実際に行っていることを「もうこれ以上できない!」と言っているだけにしかならないからだ。
couldn't do more は「これ以上できないほど」という一種の比喩表現である。
(これ以上順調になりようがないほど大変上手くいっている)
couldn't have done more/less/比較級
(これ以上できないほど) 非常に〜だった
couldn't do more/less/比較級 の過去形で、過去に「これ以上の可能性はないほど非常にそうであった」ことを意味する。
(自分ではそれ以上に上手く言うことができなかったほど同感する。)
(その映画はこれ以上ないほど非常にエキサイティングだった。)
"You should have been nice to her." 「彼女に親切にした方がよかったと思うよ」
"I couldn't have been nicer."
「これ以上ないほどとっても親切にしたけどね」
疑問詞を伴う can と could の疑問形
疑問詞を伴う can / could の疑問形もそれぞれの定義に基づく。
can は実際の能力、可能性、許可、could は 過去形または仮説の能力、可能性、許可。
疑問詞を伴うと反語的に使うことも多い。
---> 解けるはずないのに、誰か解けてしまった
(食べられるわけないじゃない!) ---> 可愛すぎて食べるのがもったいない
---> 食べられるはずがないのに、食べてしまった
(よくこんなことできるね/できたね!)
これら2つは can でも could でもあまり大差はない。
ただ、can は現在起こっていることに、could は過去に起こったことに使うことが多い。
同じ文章でも、当然だが context (文脈や会話の流れ)によって違う。
(止められるわけないよね)」
"Really? How could he quit smoking?"
「本当に?彼はどうやってタバコを止めることできたの?」