法助動詞 shallとshould
- shall は神の意志 will は人間の意志
- 法律文書では主役の shall
- Shall I 〜? や Shall we 〜? は申し出やお誘いの古き良き表現
- Shall I 〜? Shall we 〜? の同義表現
Do you want me to 〜? Would you like me to 〜?
Do you want to 〜? Would you like to 〜? Let's 〜 Why don't we 〜? - shall と will の伝統的な関係
- should 当然〜するはず、当然〜するべき、当然〜した方がいい
- You should の同義表現 You want to 〜した方がいいよ
- Should I 〜? Should we 〜? 〜した方がいいかな?
- should have done (1)
すべきだったのに (しなかった)、起こるはずだったのに (起こっていない) - should have done (2) してしまったはずだ、すでにそうであるはずだ
- If I should = Should I 万が一、〜するなら
shall は神の意志 will は人間の意志
shall も未来形を表す単語のひとつであるが、もっぱら一般会話での未来形は will であり、shall は私の経験では契約書 (agreement / contract) や取引条件 (terms and conditions) などでしか見たことがない。だから聞いたことなんて映画くらいでしかない。
shall と will は、英和辞典を見ても同じような意味っぽいので、「えー?同じような意味の未来形が2つ?どっちがどう違うのよ」と、英語を勉強し始めのころは未来形の理解もままならないのに更に理解に苦しむが、根本的な定義が違うことを知りさえすればそんな悩みもすぐに解消する。
shall の古英語は sceal で原義は「負う」
will の古英語は wyllan で原義は「望む」
shall は必然的な流れを表現するがゆえに強い義務を表すこともある。
そして、否定 shall not では強い禁止を表現する。
※あるアメリカ映画で、生まれたての赤ん坊に名づけるときに言われていた言葉
You shall not go to the ball. お前は舞踏会に行ってはいけない。
You shall go to the ball. 舞踏会へ行きなさい。
※この2つはどちらも童話シンデレラでシンデレラが言われた言葉である。
上はシンデレラの継母が言った言葉で、下は魔法使いのお婆さんが言った言葉。
法律文書では主役の shall
口語ではほとんど聞かない shall だが契約書や取引条件では逆に頻繁に目にする。
むしろ、助動詞は shall ばかりじゃなかろうかと言わんばかりに出て来る。
「〜であるものとする」という和訳に相当する部分には必ず「shall」が使われている。
もし、shall の部分が will だと契約条件としては弱いものになってしまう。
しかし、そのあたりをプロの契約書作成人は上手く作っていて、売り手が提示する契約書では
売り手が有利なように、または買い手が提示する契約書では買い手が有利なように shall と will を混在させていることもある。
Shall I 〜? や Shall we 〜? は申し出やお誘いの古き良き表現
Shall I 〜? (〜しましょうか?) や Shall we 〜? (〜しませんか?) は、申し出やお誘いの丁寧な表現である。 古くさいだとかひどくかしこまった感じがするだとか噂されているようだが、海外の英語フォーラムなどを見ると、イギリス英語が母国語の人にとってはまだ健在の表現のようだし、アメリカ英語が母国語の人でも まだ使っている年配者もいるようだ。
Shall I 〜? (〜しましょうか?) : 申し出の表現
私がそれをするのは必然的な流れですよね?だからいたしますよ。
尋ねているものの、それをすることを前提で訊いている。
Shall we 〜? (〜しませんか?) : お誘いの表現
私たちがそうするのは必然的な流れですよね?だからしましょうよ。
誘っているものの、それを一緒にすることになるという前提で訊いている。
Shall I 〜? Shall we 〜? の同義表現
「Shall I 〜? や Shall we 〜? は古くなりつつあるけど、とてもフォーマルな表現だよ。しかし残念なことに、現在のアメリカではフォーマルな表現があまり教えられていないから使う人が少ないのも仕方がない」
と、パパウシは言う。
そういうパパウシの口からも shall の言葉を聞いたことはない。
Do you want me to do 〜? (〜しようか?) : カジュアルな申し出の表現
Would you like me to do 〜? (〜しましょうか?): フォーマルな申し出の表現
※ Do you want me to do 〜? も Would you like me to do 〜 ? も直訳すると
「私に〜して欲しいですか?」となるが、「〜しましょうか?」という申し出の表現でもある。
もちろん、context(会話の流れや文脈など)によっては直訳の「私に〜して欲しいですか?」の意味になるときもある。
これらはアメリカ英語では Shall I 〜? よりもよく使われる。
Shall I 〜? をよく使うイギリス英語が母国語の人には Would you like me to 〜? の方がひどく丁寧に聞こえるという人もいる。
Do you want to do 〜 (〜しない?) : カジュアルなお誘いの表現
want to の砕けた表現 wanna はスラングである。公の場では wanna は使わない方がいい。
普段の会話でもあまりお勧めできる言い方ではないが、言い易いため、ついつい口から出るのは wanna である。それはアメリカ人も同じのようだ。
しかし、普段使いが wanna だと公の場でも口から出てきてしまうので、普段から want to と言う癖をつけておいた方がいい。
Would you like to do 〜 (〜しませんか?) : フォーマルなお誘いの表現
※ Do you want to do 〜? も Would you like to do 〜? も直訳は「〜したいですか?」だが、「〜しませんか?」というお誘いの表現でもある。
もちろん、context によって直訳の「〜したいですか?」という意味にもなる。
直訳の意味しか知らなかったころ、「Do you want to 〜?」と訊くたびにパパウシが「Sure」と返事するのを私はいつも不思議に思っていた。
Let's do 〜 (〜しようよ) : カジュアルなお誘いの表現
※ shall we? を伴うこんな言い方もある。
Let's have a drink, shall we?
一杯飲みに行こうよ。
Why don't we do 〜? (〜しない?): カジュアルなお誘いの表現
このフレーズに「Because 〜 と答える人がいる」と嘲笑気味なコメントを見たことがある。
しかし、アメリカ人パパウシは
「Why という疑問詞から始まっている以上 Because 〜と答える人がいるのは当たり前だ。状況によっては自分だって Because 〜と答える可能性はある。実際に『何でしないんだ?』という、そのままの意味のときもあるのだから。誘いの表現としてならば、これはスラング的だし否定形の don't もあるから自分は使わないし薦めもしない。」
と述べていた。
Why don't you 〜? (〜したらどう?) を含めて、私はビギナーの頃に覚えたフレーズなので結構よく使ってきたが、そう言われてみればパパウシが Why don't 〜? を使うことはない。
直訳は以下のようになる。
shall と will の伝統的な関係
shall と will は、その昔、人称によって使い分けがされていた。
主語が1人称 (I / we) のときは shall、2人称 (you) や3人称 (he, she, it, they) のときは will が使われていた。
ところが、これが決定や義務を表す内容だと通常の使用法と真逆になって
主語が1人称 (I / we) のときは will、2人称 (you) や3人称 (he, she, it, they) のときは shall が使われたのだという。
これを見ると現代英語の shall と will の使い方は、実は両方とも単純に意志未来だけかもしれないと思ったりもする。
疑問形では昔の「通常」の言い方(Shall I 〜? / Shall we 〜? / Will you 〜?)が
肯定形や否定形では昔の「決定や義務」の言い方 (I will 〜, We will 〜, Buyer shall 〜) が継承されただけかもしれない。
Shall I 〜? Shall we 〜? とは言うが、Shall you 〜? と言うことはないし、Will you 〜? と言うことはあれど、Will I 〜? Will we 〜? とは言わない。
そして、will は主観的要素が強く、shall は自分の意志以外の何かに導かれるという客観的要素が大きいことや、さらに両者ともに確信的・確定的な表現という点などは、昔の「決定や義務」の使い方に相通じるものがある。
これは私見なので、明確なことではないが、なかなか興味深いことではないだろうか。
should 当然〜するはず、当然〜するべき、当然〜した方がいい
should は「現在の当然の可能性に対する話し手の推測や期待」である。
以前「shouldは『〜するべき』ではなく『〜した方がいい』という意味なのか」と訊かれたことがあるが、それは単なる和訳の違いなので人称や文脈や会話の流れによってどちらにもなる。
一般的な和訳は「〜するはず」「〜するべき」「〜した方がいい」などがある。
和訳だけ見るとなんだか違う内容のようだが根底は同じだ。
「当然の可能性としてそうするはず、当然の流れでそうするべき、当然の流れでそうするべきなのだからした方がいい」とういうことである。
日本語で「するべき」と言えば強い義務を連想させ、英語での must / have to / had better が思い浮かぶが、should にはそこまでの強い義務はない。
だから内容によっては「〜した方がいい」と和訳する方がしっくりくる。
否定は shouldn't (should not) で「〜しないはず」「〜するべきでない」「〜しない方がいい」となる。
You should の同義表現 You want to 〜した方がいいよ
want to は「〜したい」という欲求の意味が一般的に知られているが、You が主語の肯定形
You want to do 〜 は「〜した方がいいよ」というアドバイスの表現になる。
否定は You don't want to do 〜 で「〜しない方がいいよ」となる。
通常は might をつけて You might want to do 〜 (〜した方がいいかもしれませんよ) とやわらかいアドバイス表現がよく使われる。
※実際に米軍基地からの招待状に記されていた文言
Should I 〜? Should we 〜? 〜した方がいいかな?
Should I 〜? Should we 〜? は should の意味がそのまま疑問の形になっただけで
「〜した方がいいですか?」という意味である。
また、Should I/we 〜? は、Shall I/we 〜? の代替として使うことも可能な場合が多い。
むしろ、アメリカ英語では Should I/we 〜の方が一般的かもしれない。
違いを挙げるとすれば、Shall I/we 〜? は「それをすることを前提で訊いている」のに対し、Should I/we 〜? は「それをした方が良いかどうか」を本当に尋ねている。
しかし、どちらも「それをしようか?」と表現していることには変わりないのだから大した違いでもない。
should have done (1)
すべきだったのに (しなかった)、起こるはずだったのに (起こっていない)
should have done (= should've done) の主な表現その1は
「過去に起こって然るべきだったのに実際には起こらなかったこと」を意味する。
「すればよかったのに (しなかった)」「起こるはずだったのに (起こってない) 」となる。
否定は should not have done (= shouldn't have done) で
「起こらないのが当然なのに実際には起こってしまったこと」を意味し
「しなきゃよかったのに (してしまった)」「起こるはずないのに (起こってしまった)」となる。
(バターを使うべきだったけど使わなかった)
(ドイツにいるはずだったけどいなかった)
(失礼な態度とちゃったもんね)
(長居しない方がよかったのだろうけど長居した)
(気づいていなかったはずなのに気づいていた)
※ 贈物などを頂いたときに述べる定型表現で「You shouldn't have.」という一言がある。
You shouldn't have done 〜 の done 以降が省かれた形で
「そんなことしなくていいのに〜(でもありがとう!)」という意味である。
定型表現なので done 以降をわざわざ表現する必要もないし、表現するとすればそれぞれの状況に合った内容だろうが、主に以下のような内容とされる。
* You shouldn't have gone to all this trouble. そんなに気を使わなくてもよかったのに。
* You shouldn't have spent so much money. そんなにお金を使わなくてもよかったのに。
should have done (2) してしまったはずだ、すでにそうであるはずだ
should have done (= should've done) の表現その2は「当然すでにそうであるはずと推量」
することで「してしまったはず」「すでにそうであるはず」となる。
否定は should not have done (= shouldn't have done) で「当然まだそうでないはずと推量」し、
「まだしていないはず」「まだそうでないはず」となる。
前項の「すべきだったのに(しなかった)」との区別は、状況や会話の流れによるしかない。
しかし、根底に持っているものは「当然そうなった(またはすでになっている)はずの出来事」に対する話し手の気持ちには違いはなく、「実際には推測と違うことが起きたのか」それとも「ただの推測」なのかという点だけが違うのである。
If I should = Should I 万が一、〜するなら
「起こりうる可能性の極めて低い、しかし絶対にないというわけでもない仮説」を表現する。
私の経験では会話では聞いたことはないが、if が省略された倒置表現「Should 主語 do」を
お客様への掲示文などで見かける。とてもフォーマルな表現である。
should のない「If 主語 do」と同じ意味だが「Should 主語 do (If 主語 should do)」の場合は
「ないとは思うがもしそうであれば」の意味で、まさに「万が一、〜するなら」である。
なぜ should が使われているかといえば、これは仮定法により shall が過去形になったもので、仮説であることを強調している。
通常の仮定法 (仮説) での条件節 (if節) には法助動詞は使われないが、条件節で意志や未来の表現が重要ポイントである場合には法助動詞が入ることがある。それと同様で「If 主語 should do」は未来を表す法助動詞の過去形が入ることにより「今後においての仮説」であることを強調していると言える。
ではなぜ will の過去形 would ではなく shall の過去形 should になるのか。
それは「自分の意志ではなく神の意志である必然的な流れの話」であるからに他ならない。
「実際には非常に低確率だが、仮にそうなることが神の意志であるとすれば」ということだ。
もともと古い仮定法の助動詞では should がよく使われていた。
しかも would よりも丁寧な表現とされ、仮定法ではなくても I should like to go, but I can't. のような表現もされていた。(イギリス英語ではこの表現はまだ使われているようだ)
それが時と共にこの類の表現は should ではなく would で表現されるのが一般的になったが
「If 主語 should do」にはまだその名残があるというのが実は大元のようだ。
If I should die before I wake, I pray the Lord my soul to take.
目覚める前にもし私の命が終るなら、私の魂を主にささげるよう祈ります。
※賛美歌または就寝前のお祈りの一節
if 節の同義表現として「in case 〜」もあるが、in case 節でも should が使われることがある。
Here's a contact number, in case there should be a problem.
万が一、問題があった場合のために、連絡先をお教えいたします。