私の英会話ヒストリー

2018年9月

英会話の勉強を始めたころは、まさか私が英語を話せるようになるなんて想像もしなかった。
しかも将来、英語に携わる仕事をすることになろうとは。

自慢じゃないが(と言いながら少し自慢だが)、私の学生時代の英語成績はとてもよく、英語だけは常にクラスの上位3位以内にいた。たまには学年1位になることだってあった。
しかしながら、英語を話すことにおいては、てんで駄目であった。
日本人は謙遜民族なので「英語は全く話せない」と言っても結構簡単なフレーズくらい話したり聞き取ったりする人が多いが、私の場合、謙遜でもなんでもなく、3ワードくらいの簡単な会話すらも全く話すことも聞き取ることも不可能だった。
学生時代の英語成績の良さは、単に点を取るための勉強方法を知っていたに過ぎない。

社会人になって、外国旅行に行く機会があったり、土地柄アメリカ人から話しかけられたりするたびに、英語でコミュニケーションが取れないことをいつも残念に思い「英語を話せたらなぁ」と思うことが多くなってきた。
それで、20代も最後の歳を目前にして英会話の勉強をすることにした。

メール交換をはじめてみた

パソコンが家庭でも普及しつつあるころにパソコンを買った。もう18年も前の話だ。
インターネットやメールの設定をし、海外の人たちともメール交換ができると知る。
「よし、海外の人とメール交換をしながら、タダで英語を習得しようじゃないか」
そう思い、早速、外国人ペンパルサイトに応募した。
他の応募者の文面を真似て簡単な自己紹介の英文を載せる。

すると1週間くらいの間にメールがどんどん来た。10通くらいは届いたのではないだろうか。
とても嬉しかったが問題が発生する。
英語習得が目的とはいえ、突然彼らのメール内容を把握するには、私の英語力は乏しすぎた。
いや、当時の私には英語力なんてものは皆無だった。あの高校時代の輝かしい英語成績の良さは一体何だったのだろうと自分でも不可解に思えた。
辞書を引きながら四苦八苦しつつなんとか"解読"していく。
ほとんどが「初めまして」の内容で数行程度だったので、なんとか意味を得ることができたが、 すべてのメール内容を把握するのに丸3日かかった。

中には、印刷すると2ページにも及ぶメールを送ってきたイギリス人がいた。
これにはもうお手上げだった。
今読んでみると、充実した内容で面白いが、当時の私にキャパオーバーだった。
そこで、友人の会社の先輩で、イギリスに留学した経験があり英語に堪能な人がいたので、友人から頼んでもらい和訳をお願いした。
快く引き受けてくれたが、数日後いただいた和訳の最後には
「他人のお手紙を読むのも悪い気がするし、今度からはがんばって自分で読みましょうね」
と書かれてあった。
この言葉を肝に命じて、後にも先にも誰かに和訳をお願いしたのはこのとき限りだ。
今考えると何の御礼もせずに図々しい依頼をよくしたもんだと思う。

さあ、今度は返信を書こうとまた辞書とにらめっこが始まる。
しかし、これは英語を読むよりハードワークだ。簡単な英文を1行書くのに1時間かかる。
夜9時ぐらいに書き始めたメールを7行書いたときには夜が明けていた。
その後2、3人ぐらいと数回やりとりしただろうか。
まだ数回交換できたのは良い方で、1回の返信で終わった人も多かった。
先程のイギリス人とのメール交換も、3回目が届いたときには挫折してしまった。

それでも、メールをやりとりするたびに、こんなに短時間で世界中に“手紙”が届くという文明の進歩に感動していた。
文明の進歩とは逆に、辞書とにらめっこだけでは、自分には限界があることに気づく。
それから一念発起して英会話を習いに行くことに決めた。

英会話レッスンに通う/日本語が流暢なアメリカ人から習ったとき

当時、私は趣味でバンドをしていたが、その関係者の中に日本語が流暢なアメリカ人がいた。
その人に頼んで週1回の英会話レッスンが始まる。
レッスンといっても、私が英語で言いたいことをノートに日本語で書きとめておき、彼がそれらを英語でどういうのか教えてくれるというやり方だった。レッスン中はほとんどが日本語だ。
レッスンを始めてから2ヵ月ほど経ったころ、彼から教わった英語に関しては「この日本語は英語でこう言う」というのは確実に理解できるが、本来の目的である「話す」や「聞き取る」ということに関しては全く進歩が感じられないことに気づく。
同時に、彼も多忙になりキャンセルが続いたので、他の先生を探すことにした。

英会話レッスンに通う/英語しか話さないアメリカ人から習ったとき

友人が海軍を定年退職したアメリカ人から英会話を習っていたので、その方にお願いして週1回のレッスンを受けることになった。今度は一切日本語を話さない先生だった。
レッスンは会話の練習を繰り返すというスタイルで、提供される英会話のテキストに沿って先生がそれを読み、私があとに続く。
終始英語なので、先生の言うことがわからなかったり自分も言いたいことが言えなかったりで、頭をフル回転させる。毎回レッスンが終わったときにはドッと疲れていた。
日本語流暢のアメリカ人から”日本語で英語を習う”のは楽しいばかりだったので、英語だけでのレッスンはこんなに違うのかと驚く。
と同時に、毎回、会話文から新しいフレーズを得られたり、先生の読み方で発音や抑揚を覚えられたり、確実に何かしらを得ていることを実感していた。
それに、学校で習う「物語としての英語」ではなく「会話としての英語」を学べるのもまた新鮮で楽しかった。

自宅でも英語漬け

日本語を話さないアメリカ人先生の英会話レッスンに通い出してからは、NHKの英会話番組を見まくった。ラジオの英会話講座も聞きまくった。
見たり聞いたりするだけでは忘れてしまうので、必ず全てノートに記録した。
傍から見れば努力しているように見えるが、努力しているという意識は全くなく、とにかく新しい英会話フレーズを覚えることが楽しくてしょうがなかった。
それと、米軍基地のラジオAM1575をつけっぱなしにしていた。
これは、最初の先生である日本語が流暢なアメリカ人から「わからなくてもいいから可能な限りずっと英語を聞くといい」と、米軍基地のラジオを勧められたことだ。
ラジオの中で何が話されているのか本当にサッパリわからなかったが、常時聞き流していた。
理解できないまま聞き流すことに効果があるのかどうかは未だに不明だが、全く何もしないよりは遥かにマシである。
少なくとも、英語の抑揚やリズムに慣れることができる。

間違いは上達のもと

英語に限らず他国語の言語上達に間違いは付きものだ。むしろ、間違うことなしに上達するなんてあり得ないと私は思う。「間違えない=トライすらしていない」と私は考えるからだ。
私もよく間違って恥ずかしい思いをしたものである。

当時勤めていたガス会社に、時々米軍基地の人から「ガスの集金に来てほしい」と英語で電話がかかることがあった。
通常は、米軍基地のHousing Department (住宅課) を通して日本人から連絡があるのだが、なぜだか直接ガス会社に電話をしてくるアメリカ人が数名いた。
電話がかかってきた際に「I don’t know English」と言ってしまえば、彼らはハウジング課を通して連絡するのはわかっているが、私は英語を話すチャンスを逃したくなかったので、いつもその電話に応対した。
内容はいつも同じなので毎回同じフレーズの受け答えだが、スムーズに会話が運べばとても楽しいものであった。しかし、当然失敗もあった。

ある日のこと、アメリカ人の男性から「今日集金に来てほしい」という電話があった。

男性:Hello.
私 :あっ、Hello. This is gas company.
男性:ペラペラペラ pay today. (ペラペラペラの部分は聞き取れていない)
私 :“あっ、集金ね” What time is good for you?
男性: ゥワィ ナッ
私 :“えー!なんでそんな返事?Why not??? えーなんでぇー? 通じなかったのかな”
What time is good for you?(また同じことを言ってみる)
男性:ゥワィ ナッ
私 :“えーっ???何て聞こえたんだろ?でも、他の言いかた知らないし…”
What 〜 time 〜 is 〜 good 〜 for 〜 you?(今度はゆーっくり言ってみる)
男性:ゥワ〜ィ ナ〜ッ!(男性もゆーっくり言った)
私 :“え〜っ?なんでぇー?…………でも…Why not にしては語尾上がってないし訊いている感じじゃないよねぇ………あーーーわかったぞ! Right now か!"

しかし、わかってホッとしたのも束の間、今度は別の問題が発生。
「今すぐ」って言われても集金人が今行けるかわからない。

私 :I try to contact collector, but ...(先の言葉が出てこない)
“「集金人の都合にもよる」ってどう言えばいいんだ?”
男性:ペラペラペラ right now?
私 :I don’t know …… “どう言えばいいかわからん…どうしよう…??あっ!そうだ!“
私 :CASE BY CASE!
男性:Ha Ha Ha! (少し嘲笑気味の笑い) ペラペラペラsomebody ペラペラペラNihongo.
私 :Okay...
そして電話が切れた。

アメリカ人男性は「日本語を話す人を連れてくる」と言ったのだろうが、なんだか悔しかった。
落ち込みながらも集金人にすぐ電話をして、今そのお宅に集金に行けるかを尋ねた。
「近くにいるから行ける」とのことだったので、また折り返しそのアメリカ人に電話をした。

私 :Hello. This is gas company. Collector can go there right now.
男性:Okay. Thank you.
今度の会話は無事に終了した。

「集金人の都合による」は直訳すれば It depends on the collector's convenience. となる。
Case by case は「1件1件別々に」という意味だから、全くトンチンカンな返答だったわけだ。
いずれにしても上の会話としては以下が妥当なところだろう。今だったらこう言う。
I don’t know if the collector can come there right now, but I'll contact him and let you know.
(すぐに集金人が行けるかわかりませんが、連絡を取ってみて、あなたにお知らせします。)

・聞き取りもままならないと、相手の言葉が違う単語に聞こえる
・相手の反応が自分の思っていたものと違うと、自分の英語が間違いだと思い込む
・言い方がわからないと、知っている数少ない語彙から妥当でないフレーズを使う
・冠詞には無頓着で「a」や「the」は平気で省略する

初心者はそういう失敗や落胆を数多く経験するものなのだ。それで当然なのだ。
上で述べたことは私の失敗談のほんの1例である。
発音が違ったり、言い方が変だったりで、何度「Huhh〜?」と言われて落ち込んだことか。

継続は力なり

英会話レッスンに通い始めたころは、自分が英語を話せるようになるとは全く思っておらず、
「少しでもコミュニケーションが取れればいいな」という程度の考えだった。
英会話レッスンに通い続けて2年が経ったあるとき、あるアメリカ人と話をする機会があった。
自分の英語力はまだまだだと思っていたのだが、いざ話してみると、相手の言うことが聞き取れるし英語で尋ねたり答えたりしている自分に驚いた。
流暢ではないが、英語で会話らしいことができるようになっている!すごく嬉しかった。
コツコツと週に1回、その時その時が楽しいと思っていただけで通っていた英会話レッスンだが、いつの間にか会話になるくらいに英語が話せていたのだ。
まさに「継続は力なり」を実感した瞬間だった。

言いたいこと、言えなかったことは必ず調べる

自分の英語でアメリカ人と会話になっていると感じたときから、ますます英語でコミュニケーションを図ることが楽しくなり、外国人との会話のチャンスには益々飛びつくようになった。
数年後、ガス屋から転職してホテルに勤め出したので、外国人と話す機会はグンと増えた。
アジア系のお客様が多く英語を話せない人もいたが、色々な国の人と話せることは楽しかった。

ホテルでも話すことはだいたい決まっている。
自宅で予め、どんなことを話す機会があるかを想定してフレーズを調べ、それを滑らかに話せるまで何回も口に出して練習した。
そして、実際に外国人のお客様との会話で使ってみる。
通じたら楽しかったし、そこで言えなかったことは必ず帰宅後に調べて言えるようにした。
たまたま本屋で「接客英会話ホテル業務31のパターン」という本が目に留まり購入してみたら、これがなかなか役立った。

内容が豊富すぎるアメリカ人とのメール交換

メールフレンドは色々と代わったものの、この頃も外国人とのメール交換は続けていた。
随分と短い時間で書けるようになった・・・ある1人のアメリカ人とのメール交換を除いては。
それが現在の主人パパウシだ。
彼は今までのメールフレンドと違い、毎回話題が豊富だった。
話題だけでなくボキャブラリーも豊富だったので、毎回調べなければならない単語が多かった・・・いや、多過ぎた。
それゆえにメールを読むのに半日かかり、返信を書くのに丸1日かかっていた。

だから、仕事が休みの日にしか返信できなかったのだが、メールをもらってから1週間後に返信するということもよくあった。
やっと返信を送信したかと思いきや、早ければ1時間後、遅くても翌日にはまたいつもの話題満載で表現力豊かなメールを受信するのであった。
こんな状態だったから、彼のメール交換は楽しいものである一方で、英語の修行をしているような感覚にさえなった。

彼とのメール交換は3年以上続いたが、その間に「英語の修行」の甲斐があったのだろう。
A4サイズ1枚くらいのメールを読むのも半日だったのが30分ほどで読めるようになり、返信を書くのも同程度のボリュームで丸1日かかっていたのが1時間くらいですむようになった。

発音を学ぼうと思ったきっかけ

その後、結婚のためにアメリカに行き5ヶ月間滞在するが、主人の住んでいたところが人口2万人ほどの超がつくほどのド田舎だった。
日本人はおろかアジア人すらも滅多に見かけない土地だった。
ここでは、なぜだか全く同じことを言っても、日本にいるアメリカ人や外国人には通じていたのに、通じないことが多い・・・。

しかし、あるとき、お店でスパニッシュ訛りの英語には難なく受け答えしている店員を見る。
「なんでだ?」僅かながらも悔しさを感じながら、主人に訊いてみた。
隣国が南米だからスパニッシュ訛りはアメリカ人にとっては別に問題ないのだそうだ。
われわれが住んでいた場所は、国境近くというわけでもなく、カンザス州でアメリカのちょうど真ん中だが、どのお店に行っても必ず英語とスペイン語で表示されていたことを思えば、主人の言うことが納得できた。
だから、私の英語がここでは通じないのは「みんな日本語訛りに慣れていないだけだ」と言う。

それにしても、どれだけ日本語の訛りが通じないかと言えば、テレビに出ている日本人が英語で話しているのに、その英語字幕が出るのである。
他の人が話していても字幕は出ないのにだ。中国人の英語でも字幕は出ていなかった。
以前、日本の全国ニュースで諫早市の方がインタビューに答えている内容が日本語字幕付きだったのを思い出した。
同じ県内で生まれ育った私は、その人が話していることは何の問題もなくスッと理解できたので、字幕が出ていることに少々驚きながらも「このくらいの方言でも他の地方の人にはわからないんだね」と家族と笑いながら話していたことなども思い出した。
そのとき同様、私は日本人だからその日本人の話す英語は理解できたが、今度は笑えなかった。
その英語字幕を見たときは、少なからずショックを受けた。
確実な英語発音を学ぶことが必要だと身にしみて思った。

帰国してから、とてもラッキーなことに輸入に携わる現職についたので、発音を含めた英語という英語を仕事中に正々堂々と学べる環境に浸ることができている。

コミュニケーションを図ろうとする姿勢が英会話の上達に導く

英語を話さなければならない状況に身を置くのは、英会話上達においては必須である。
しかし、単にそこに身を置くからではなく、そこでなんとかしてコミュニケーションを取ろうとするから上達するのだ。
3ワードの英語フレーズもまともに話せなかった私が、現在、英語を話せるのは、アメリカ人先生との英会話レッスン、ガス会社勤めでのアメリカ人への電話応対、ホテル勤めでの外国人への接客、他国の人とのメール交換などで、その都度「なんとかして伝えよう」と調べたり練習したりと地道に繰り返してきたことの結果なのだ。

英会話の上達には間違いはつきものだ。
「失敗は成功のもと」という諺のように失敗なくして上達はないと断言できる。
だから、間違って落ち込みつつも「どう言えばよかったかな」と調べるか「もう私には英会話は向かない」とあきらめるかで、英語を話せるようになるかそうでないかの分かれ道になる。

私が英会話を勉強し始めたときは、他国の人とコミュニケーションを少しでも図ることが出来さえすればよいと思っていただけだ。
流暢に話すなんて夢だったし、そうなることは特に望んでいなかった。
だけど、いつの間にか英語を話せるようになり、英語に携わる仕事につき、英語は仕事や生活の一環となった。
それは私に英語の才能があったからでも、素晴らしい頭脳を持っているからでも、人一倍努力家だからでもない。冒頭で自慢した学生時代に私の英語成績が良かったからというわけでもない。学校で習う英語は基礎で重要だが、必ずしも英語の成績の良し悪しが英会話スキルと比例するわけではないという例をいくらでも知っている。
今の私があるのは、英語を話せなくて恥ずかしい間違いをしても、決して学んだり練習したりを止めずに少しずつ継続したからに他ならない。

では、なぜ継続できたのか。それは、単に他国の人と話すことが楽しかったからだ。
間違ったときの恥ずかしさや通じなかったときの妙な空気に落胆したことよりも、他国の人とコミュニケーションを取れたときの楽しさが勝っていた。
その楽しさと少しずつの学びと使う経験の積み重ねの結果が現在なのだ。
英語を話す技術の間違いを恐れるよりも「話す内容を楽しみ継続する」。
それさえあれば誰でも英語を話すことができるという証拠を私の英会話経歴が物語っている。

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