英語の5文型は必要か

2017年8月

私は英語の5文型を習った記憶がない。もしかしたら習ったのかもしれないが記憶にない。
しかし、自慢じゃないが学校の英語成績は良かった。高校時代は学年で上位3位に入ることもしばしばあった。
5文型の使い方を知らずとも英語の点を稼ぐことは可能のようだ。

そんなことから、ある日、5文型なるものを詳しく勉強してみようとした。
少しかじって内容を理解した・・・つもりだった。
しかし、いざ5文型を使って英文を読んでみようとしたら、なんてこった、逆に複雑になった。ザッと読んで意味が理解できる英文なのに、5文型を使ったら頭の中がぐちゃぐちゃになった。
5文型の型自体は難しくもなんともないのに、これで英文を読もうとするとなんでこうも複雑になってしまうのだ?
5文型でどんな英文でも読めるらしいが、その噂は私にとってはミステリーでしかない。
だんだん、5文型が数式か化学式にしか見えなくなってきた。

数学や化学に強い人は5文型の使い方も得意なのかは不明だが、世の中には5文型は英語を勉強するために絶対必要と考える人もいる。以下のような説明を見たことがある。

”「The ship made for that island.」 の文型がわからなければ「その船はあの島のために作りました」と意味を捉えてしまうだろう。
しかし5文型に沿って解釈すると、「for that island」 の部分は「前置詞+名詞」で無視できるから「The ship madeの」みが残るので、この文章は第1文型だ。
第1文型ということは「make」は「行く/いる」という意味になるから「作る」ではなく「行く」と訳する。
だからこの和訳は「その船はあの島に向かって行った」となる。”

意味を把握するまでに、こんなに多くの順路をたどらなければならないなんて・・・。
だいたい5文型では前置詞句や副詞句が無視できるなんて意味不明だ。
無視された句はどうすりゃいいんだ?世の中、無視ほど惨いことはない。
私の頭の中で無視された句がどうしても迷子になってしまう。
数学や化学には弱かった私の脳味噌がもう“5文型経由”を勝手に拒否してしまう。

まあ、上の誰かの説明は解説のために長くなっているのだろうけど、実際に5文型を駆使する人は「これは第1文型ね。だからこういう意味ね」ともっと早くに解釈できるのかもしれない。
しかし、5文型の使い方を知らずとも、各単語の意味や定義を把握していれば「The ship made for that island.」は「その船はあの島に向かって行った」という意味であることは一目瞭然だ。
そっちの方が「これは第○文型ね」の部分が省かれて「これはこういう意味ね」とダイレクトに把握できるのだから“5文型経由”よりも手っ取り早い。

そもそも「The ship made for that island.」を「その船はあの島のために作りました」としか捉えられないのであれば、それは5文型の使い方を知っているかどうかの問題ではなく、単語の意味を把握しているかどうかの問題だろう。
いくら5文型を知っていたところで、makeを「作る」forを「ために」という和訳でしか覚えていないのであれば、この文章の意味を把握するのは不可能だ。

確かに、動詞は5文型の型によって意味の捉え方が異なるものが多くある。
しかし、それらを5文型に当てはめて使いわけることができるのは、意味を把握しているからできることである。
逆に言えば単語の意味や定義がわかっていれば、文章を一目見て意味は理解できるので、そこに5文型が介入する必要もない。
つまりいずれにしても5文型はさほど重要ではないということだ。

He gave me a gift. (SVOO 第4文型) だって、He gave a gift to me. (SVO第3文型) だって全くもって意味は同じなのに文型が違う。
ニュアンスがどーたら説明する人もいるがニュアンスだって全くもって同じだ。
厳密なことを言えば、「新情報は後に持ってくる」という英語の性質上、文章によって使い分けることもあり得るが、意味は同じなのだ。
やっぱり、5文型で分けられる重要性を感じない。

5文型の型自体は英語構文の基本だから知っているに越したことはないし、英和辞典に載っている動詞は5文型のどの型で使うかが記されているので、動詞の適切な理解を促すときには5文型の知識が役立つこともあるだろう。しかし、5文型を使って英文を読むのは至難の業だ。

主に構文とは意味を把握するためのものであるはずだが、5文型に関しては、意味の把握というより文章の構成を再認識するためのものとしか思えない。
よって、実際に英語の意味を把握する目的である場合には5文型の必要性を感じない。

ちなみに、5文型を使って英語を教えている国は日本だけらしい。
英語は国際言語なのに5文型による教え方は、グローバルとはほど遠く、むしろ日本文化の一部と言えるかもしれない。

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